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つながるアフリカは“茹で蛙”の日本を刺激する

7月21日、弊社では初となるEGAセミナー~アフリカ編~を開催した。

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EGA(エマージング・グローバル・エリア)ブリッジサービスの推進の一環である。
そのファーストステップとして、まずはアフリカビジネス情報の発信に軸足を置いて、
日本の経営者の皆様を中心としてスタートしたサービスである。
今後はアフリカビジネスの可能性や現状について、人と企業とビジネスシーズに焦点を
当て、ビジネスマガジン、ブログ、書籍、そしてオンラインセミナーという形で
情報発信を展開していく予定だ。

ウガンダ、ルワンダにおけるビジネスを準備している弊社は、
まず、ウガンダに在住する2人に現地から講演をしていただいた。
ひとりは、JICAに出向の形で海外青年協力隊としてウガンダに赴任して
約1年半の渡辺慎平。

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もうひとりは、WBPFConsultants.LTDの伊藤氏。ウガンダ現地で事業活動をされている方だ。
少々、通信回線の問題は発生したが、地球の裏側のアフリカからのオンラインセミナーは、
刺激的で感慨深いものがあった。

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「こういう時代が来たんだ…。世界はつながるんだ…」

聴講者の皆さんも実感されたことと思う。
特にベトナム人の友人が食い入るように聴講していたのがとても印象に残った。

もちろん、電波メディアであればあまり驚きもあるまい。
例えば、CNNのような報道番組であれば、生中継は朝飯前だ。
しかし、今回利用した仕組みはとてもシンプルなもの。
最先端のICTの仕組みでありながら、利用料金は極めてリーズナブルである。
テレビ局がアフリカから生中継をしようとする際のコストを考えてみればわかりやすい。

使用しているツールはシャープ社の子会社であるiDeepソリューションズ社の
TeleOffice」。
低廉な月額固定利用料金を支払うだけで、契約の範囲であれば、いくらでも使い放題だ。
今回のオンラインセミナーが画期的なのは同社のサーバが日本にあるということだ。
シンガポールやドバイにあるのではない。
少し前までは、東南アジアのベトナムでも、こういうオンライン形態でのサービスは
とても品質が劣悪で、実用には堪えなかった。
今やすでに、地球のどこでも利用できる状態にある。
アフリカでここまでできるのだから間違いないだろう。

少し話は変わるが、先日、「アフリカに見捨てられる日本」という
刺激的なタイトルの本を見つけた。

初版は約8年前の本なのだが、その内容はかつての東南アジアを見ているようだ。
東南アジアでNATOと揶揄され続けてきた日本人。
いつも相手国に期待させはするが、なかなか行動に移さない。
『口だけの国』と言われるようになる。今もベトナムでもこの傾向は変わらない。
爆発的にベトナム人気が日本でも高まっているが、世界中が同時にそうなのだから、
相対的に日本のNATOはあまり変化がない。
この本を読んでいて、どれだけアフリカの声が日本に届いていなかったのか
ということを改めて痛感した。
アフリカも以前から日本に来て欲しいとラブコールを送っている。
もっと、日本人にアフリカのことをを知って欲しい願っている。
今からアフリカビジネスに本格参入するのが、私自身は遅いとも早いとも思わない。
今、この時点こそベストタイミングだと考えている。

そんな中で、アフリカと実際にオンラインでつないでみた。
一言で言えば、アフリカがとても身近に感じる。
思い起こせば、私の海外ビジネスは26年前から始まった。
弊社を設立する数年前に勤めていた神戸にあった小さなITエンジニアの派遣会社が
その原型を創りだしてくれた。
そのときの体験が今のビジネスの原点にもなっている。
その会社では入社前の約束通りITビジネスの部署を任されるようになった。
ただ、約束と違うことがひとつあった。
それは、部下が日本人ではなく、全員アジア人だったことである。
後に、日本人の部下がひとりだけ増えたが、1年以上、外国人との仕事である。
マレーシア人3人と中国人2人だ。
マレーシアの3人とのかかわりで、イスラム教の生活様式を間近で感じた。
タイムテーブル通りに祈りを捧げる。
打ち合わせより優先することになるし、もちろん食べ物にも気を使った。
中国人との付き合いは生活習慣の違いはあまり感じなかった。
しかし当時、中国で発生した世界を揺るがす大きな出来事が今でも脳裏に焼きついている。
当時の社長は翌年には中国人を20人採用すると言っていた。
必然的に私が面倒を見ることになっていたのだ。
ところが天安門事件の発生により、全ての計画は白紙になった。
自分の働く場や人付き合いの中で、外国の出来事が影響する体験を初めて
実感することになる。
ただ、その当時は、今のような情報社会でもなく、まして情報統制もあり、
その後の中国の様子はしばらくは中国人の友人からしか伝わってこなかった。

また、ブレインワークスを始めてしばらくして、ユーゴスラビアからインターンの
ITエンジニアを受けて入れていたことがある。
好青年で社内でも人気があった。
皆が東欧に関心を持つキッカケもつくってくれた。
ところが、任期満了前に帰国することになった。
理由は徴兵だ。
当時、ユーゴスラビア紛争が勃発したのだ。
彼の明るい笑顔と紛争という暗い影。
対照的なふたつの光景を目の前にして、複雑な気持ちのまま東欧が
身近に感じたことを今でも思い出す。

ウガンダに5月に初訪問して以来、少しずつではあるがアフリカの
事情が見えてきた。
こちらがメッセージを発すると情報は集まってくるものである。
特に、隣国のルワンダは今、ICT立国として、国の基幹産業の発展に
力を入れていることを知り、年内には同国にICTのR&D拠点を設立する予定だ。
そのルワンダ、私も記憶の片隅にはその国名が残っていた。
約22年前となる1994年4月、世界を震撼させた大虐殺が発生した。
約100日間で約80万人が犠牲になった。
関連する本を読んだり、映画も見た。
映画は感動的ではあるが、それはこの大虐殺の一部分を切り出したものに過ぎない。
まだまだ、ルワンダのことは理解していないのが実状だ。
私が神戸で創業したときに阪神大震災が発生した。
ひとつだけ言えることは、その震災の少し前にルワンダでは世界的な大惨劇が
起こっていた。
なぜその当時、知ることができなかったのか考えている。

私が無関心だったからか?
日本では、情報が流れていなかったのか?
日本のメディアはどのように報じていたのだろうか?
その時に、アフリカの友人がいたらどうだっただろうか?

仮に今の情報社会だったらどうだろうか。
少なくとも今は世界中に情報が伝わる時代だ。
FBひとつで拡散でもしていたら、結果は変わっていたのではないだろうかと
思ってしまう。
今でも世界中紛争だらけである。
貧困な生活で食料も足りない人が驚くほど膨大に存在する。
日本にいたら常に平和を実感できる。
平和すぎて余計なストレスが溜まる社会である。
こんな国のこんな生活者を相手にしたビジネスは、気づかぬうちにすべてが
ガラパゴス化に向かっているのではないだろうか。
私自身とても心配になるが、それは老婆心が過ぎるというものだろうか。
少なくとも東南アジアやアフリカから日本を見ている人たちは私と同じ
考え方の人が多い。

情報は伝わるようで伝わらない。
今のようにICTインフラで世界中がつながる時代でも無関心でいることはできる。
しかし、変化を望み、地球の未来を考えたビジネスに取り組むのであれば、
アフリカとつながるのが一番良いと今は確信している。
いきなりアフリカに訪問しようという意味ではない。
実際に行動に移すのはとても労力がいるし、少しの勇気が必要だ。
百聞は一見に如かずとは言うが、一見の前の一見が今は容易に可能だ。
そのひとつが、アフリカの現地からのオンラインでのセミナーである。
教育だってかなりの部分がオンラインでできるだろう。
それに加えて、当該場所に進出する計画の有無にかかわらず、
現地の人材を短期でもよいから受けて入れてみるのもよい。
仮にICTの事例で言えば、東京のど真ん中のオフィスの日本人だらけの
開発ルームにルワンダ人と仕事するなんてどうだろうか。
これだけでも、社員の刺激になるし、意識も変わるだろう。
ルワンダのたった22年前の悲劇も自ら知ろうとするだろう。
物理的にはアフリカは遠い。
だからこそ、これからはオンラインをダイナミックに活用し、
「身近なアフリカ」にしていく意義があると確信している。
人と情報がつながる時代、これがオンラインのプラットホームに乗れば、
限りないイノベーションが起こせるはずだ。
弊社はその仕組みづくりに奔走したい。

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