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【提言26】AI時代にシニアの価値は失われるのか?


課題解決型先進国の日本。これには2つの意味があると考える。
ひとつは、過去の問題を克服してきた結果としての今の日本の価値。
もうひとつは、超高齢化社会の進行の中、これから課題を
解決していくだろう今後の日本への期待感。
いずれにしても、今のシニアが主役であるのは間違いはない。
かつて、社会問題や環境破壊、農薬の問題などを起こしてきた日本は、
今では、高品質で安心安全の商品やサービスを提供できる先進国であり、
世界のお手本となっている。また、急激な工業化の推進の結果、
甚大な公害や環境破壊をしてきた過去を克服し、今や世界で
環境立国日本としてのプレゼンスも発揮している。
過去のさまざまな課題を解決してきたからこそ、価値があるのである。
今伸び盛りのアジア諸国、そしてこれからはアフリカなどの新興国、
発展途上国が日本に学びたいと考えている。日本人としては誇りでもあり、
嬉しいことだ。当然、アジアやアフリカなどの新興国では戦後の
日本の歩みと結果が中国や韓国など他の外国勢と比べてもビジネス的な
アドバンテージにもつながっていくだろう。


この期待に最大に貢献できるのは、しばらくは今のシニアであるのは
間違いない。日本の過去(昔)を知っていて、改善のプロセスの
実践者という意味では今のシニアの価値は絶大である。
ところで、シニアの価値といえば、人脈、経験、仕事のノウハウなど、
このような言葉が想起される。実際、今の日本国内でも、
おそまきながらではあるが、アクティブシニアを新産業の創造や
既存ビジネスの活性化の起爆剤にする動きが官民挙げて盛んになってきた。
私の周辺でも、77歳を超えてなお起業する方や若手ベンチャー起業家の
サポーターとして活躍する方も多い。また、アジアやアフリカで
活躍されているシニアも想像以上に多い。
彼らとの出会いはいつも驚きの連続である。ここ10~20年は、
ますますシニアの活躍の場が増えるはずだ。そして、社会性の高い
ビジネスに関わったりや新興国の発展に寄与したり、今の国内と
これからの国外のシニアビジネスそのものに貢献するケースが
数多く登場するだろう。


ここ数年で急速に進行するICT革命の中、劇的に変化するであろう、
これからのシニアの役割と活用の意味を考えてみたい。
シニアを「今のシニア」と私も含む「未来のシニア」の2つに分けてみたい。
まずは、今のシニアであるが、ICTがますます進化し、
生活圏にロボットが当たり前のように登場し、AIがホワイトカラーの
領域まで取って代わろうとしているこれからの時代、今のシニアの価値は
いつまで続くのだろうか? 特に最近、シニアで現役バリバリの方と
仕事することが増えたので、なおのこと複雑な心境でもある。
今のシニアの価値を十分活用しきる前に、賞味期限を考えるのも
変な話だが、現実には、今一番アナログ的なシニアがICT革命の
影響を一番受けるだろうことは間違いない。
単純に考えてみても、シニアの持つ人脈や経験、仕事のノウハウなどの
知的資産は、いずれはAIとICTに置き換わってしまう最初の候補とも
いえるだろう。今のシニアの知的資産は、時代背景から考えてほとんどが
『記憶』であり、それは頭の中にしか存在しない。
「経験と勘と度胸」といわれる暗黙知であろう。


現代では、暗黙知はさまざまな工夫で形式知に変換できる。
実際に大企業などでは当たり前に導入されている。
形式知になると記録された情報としてコンピューターが
扱うのが得意な領域になる。そしてさらに、シニア個人の持っている
情報や経験をつなぐことで知的資産の価値を増大できる。
また、最近流行のビッグデータ化が実現すれば、たちまちシニアの知恵の
ビッグデータができあがる。このように考えれば、AIが進化し、
仕組みが整備されるまでは時間が必要で、自由自在に活用できるのは
早くて10年、遅くて20年先だろう。
だから、日本のシニアの知的資産の個人としての賞味期限は
最大で10~20年前後までということになる。


仮にすぐに情報化するとしたら、すでに1000万人を超える
記憶中心のシニアの知恵の蓄積は膨大なコストと労力が必要である。
しかし近い将来、個人の記憶のまま知的資産が消えてなくなる前に、
日本の過去の課題解決型先進国としての貴重な財産として、
残しておくべき特別な価値が私はあると思うし、国がなすべき
課題でもあるだろう。


もうひとつ、未来のシニアについても考える。私達がシニアになる
十数年後には、もはや人脈や経験、仕事のノウハウなど知的資産を
個別に持つことはそれほど特別な価値を持たず、ほとんどが
情報化と蓄積化が進み、AIとICTがその仕事の大半を
行っていることになるだろう。シニアの知的資産のほとんど全てが
クラウド上のノウハウデータベースにあり、データマイニングと
AIで世界中どこの人でも、共有の知的資産として言語関係なく
自由に引き出し、活用できる。そして、それは、ほぼ自動的に
未来永劫蓄積・醸成されていく。こんな仕組みが当たり前のように
利用できる時代が到来する。


例えば、ある40歳の大企業所属の部長をイメージしてみよう。
近い将来のある日から、彼のビジネス活動の履歴やノウハウ、
人脈などの情報が自動的かつ継続的に蓄積されていく仕組みが
登場する。今でも部分的にはすでにそうなっているし、
そういう仕掛けは私達の身の回りに日増しに拡大している。
ビジネスの行動履歴や読んだ書籍などはすべて蓄積されるかも
しれない。書籍などは私としては、自動的に記録してほしいと
思う部分もある。今でも人脈はすでにSNSの中にある人も多い。
いわば、日常生活を普通に過ごしながら、人生の履歴書ともいえる
活動履歴や仕事などで知りえた情報を自動的または意図的に
ストックしていくとする。そして、彼がいずれシニアになる。
仮に今はストックするだけで使う仕組みや機会が少なくても、
25年後のシニアになる頃には、今よりさらに進化したICTの
仕組みが存在する。つまり、AIが判断して、自由自在に世
の中に役立つ用途に合わせた活用ができるはずだ。
AIが知的資産の活用を自動的に考えていても不思議ではない
時代になるだろう。自動的に蓄積された情報をAIが判断し、
最適な活用を促してくれる。


こんな世界になれば、いったい人間はどうなるのだろうか?
いつか、人間はAIに支配されるのだろうか?
AIが流行の今、こんな心配が世間に広がりつつある。
今のシニアよりも、未来のシニアの方がよほど深刻な事態に見舞われる。
なぜなら、すでに述べたが、今のシニアは今のままでも社会や経済に
貢献できる部分がたくさんある。これからのシニアの時代には
人脈と経験などは特別な魅力にはならない。なぜならば、
それはAIやICTの仕事に置き換えられていくからだ。
シニアが記憶に頼り、数千人の人脈マップを検索する必要もない。
活動履歴を残していれば、このシニアの経験とノウハウにマッチする
企業を探し出すことなどいとも簡単だ。
では、AIがどれだけ進化しても人間にしかできないことは何だろうか?
個人の知的資産はすべてクラウド上にある時代にシニアの価値とは何か?
予測しがたい未来のAI社会で人間が幸せに生活する出発点を探ってみたい。


結論から述べると、やはり求めるべきは『人間らしさ』であると思う。
実際、人が集まると、共感や連帯感が生まれる。日本人は特に
チームワークに優れている。私の実感だが、特にシニアの集まりに
参加していると、生きることに対しての深い洞察や社会に対しての
意識や後世に対しての想いなど共感のエネルギーがとても強いと感じる。
シニアはいうまでもなく人生経験豊富だ。
人の人生に影響を与えている人も多い。
脳科学の世界では、おおむね50歳を境にして結晶性能力が
グングン伸びていくといわれている。いつまでも成長できるのだ。
また、社会貢献の意識や地球の未来を考える意識が高まっていくのである。
実際、シニアの方と話していると、欲望と野心が溢れ、
ギラギラしている人は少ない。社会貢献や子供の未来への憂いと
責任を切々と語られる方が圧倒的に多い。また、身内の介護や
自身の健康問題などさまざまなご苦労も背負っている方もいる。
なのに、とても人間味に溢れている。また、接していると人としての
温かみを感じるとホッとするし、学びが数多くある、人間味溢れ、
信頼という言葉がぴったりの方も多い。まさしく人生の羅針盤としての
存在感を示してくれる。


ICT革命が急速に進展しているのは間違いがない。
その根拠は変化や進化のスピードだろう。ICT革命は約30年後には
「シンギュラリティ(技術的特異点)」に達するといわれている。
テクノロジーの進化に支配され、想像もつかないことが起こる世界へと
変貌する。SF映画の世界が現実になるイメージの方が理解しやすいかも
しれない。そんなことをメディアが喧伝したら、一般の方々は
不安になるのは当然である。


しかし、考えてみてほしい。ICTやAIの活用も常に人間が
主役なのである。私たちの生活環境の未来は人間らしい自分たちが
考えるのが一番重要なことだ。そういう意味で、いつの時代になっても
一番経験豊富で人間らしいシニアが主役であり続けてほしいと思う。
シニアに賞味期限はないのである。

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(近藤 昇 著 2016年10月15日発刊
もし、自分の会社の社長がAIだったら?
PARTⅢ 日本人への提言-【提言26】AI時代にシニアの価値は失われるのか? より転載)